変わらない日本男児 変わる日本男性

悲惨な歴史となりつつある第2次大戦。

その渦中にあった日本男児を支えた「お国のために」という思想。


敗戦後、「お国のために」がいつの間にか「会社のために」、そして「お金のために」に置き換わり、高度経済成長を支えてきた。エコノミックアニマルと揶揄されながらも、「労働は美徳である」と信じられてきた。


日本社会全体で見たとき、こうした日本男児の行動は、全体への忠誠心のように見えるけれども、その根底には、個人個人が持っていた別の共通する信条があったと思う。


その信条とは、「自分の家族のために」自分を犠牲にして働くという家族愛からくる使命感だと思う。愛する我が子、妻、両親を守るために、日本を守るんだ!会社を守るんだ!組織を守るんだ!と・・・


そして、そうした昭和の時代を歴史として見たとき、令和の時代を生きる自分たちの中にも家族愛からくる犠牲精神が相も変わらず「自分の生き甲斐」になっていることに気づかされる。私もそのようにして生きてきた一人だから・・・


戦争も経済成長も、「兵器やお金を武器にして、地球環境を破壊しながら互いの命や資源を奪い合い、我が家、我が国、我が組織の安泰だけを最優先してきた愚かな行為」と歴史の教科書に定義されるのもそう遠くはないはず。


マイホーム主義的な家族愛が全く家族のためになっていなくて、自分の子や孫、その子孫に多大な負担を強いてきているという現実・・・


私たち男性は、こうした利己的な家族愛を脱ぎ捨てて、地球全体、宇宙全体への家族愛を身にまとう男性へと変わっていかなくては。


全体への愛の奉仕者に変わっていかなくては。


日本男児の生き残る道があるとすれば、そこにしかないと思う。


















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